穢多は本当に差別対象だったのか。

本を読むのは良いけどアウトプットする機会無いからとりあえずブログやろ~っつって無料のはてなブログ始めました。ちっす。

WordPressはなんかもう分からん。ちっす。

 

で、最近、ケガレについての本を読んだりしているのでなんとなーくケガレについて自分なりにまとめようかなと。

 

「ケガレって言葉知らん」って人は多分いないんですけど、じゃあしっかり説明しようとなると難しいのがこのケガレって概念です。

穢れが多い人間、穢多(えた)といった言葉は一度はきいたことあるかと思います。

「穢多や非人は牛の皮を削いだり殺したりする職務についたので、ケガレが多い人間として差別された」、なんて感じで学校では習うはずです。

 

 

じゃあ

ケガレとはそもそも何?

ケガレが多いとされた人間は元々嫌悪の対象として差別されていたのか?

多分みんなが日本史をやっていて持つ違和感ってここなんですよ。

 

 

 

まず、ケガレとは何か。

これは山本幸司さんが論文中で次のように述べています。

ケガレとは、人間と自然とのそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ、不安と結びついている

これについてさらに分かりやすく、民俗学者網野善彦さんが解説してくれています。

たとえば人の死は欠損で、死穢が生じますし、人の誕生は逆にまた、それまでの均衡を崩すことになり、産穢が発生する。

高校でみんな古文を習っているので、なんとなく「あ~あのことか~」ってなると思います。

子供産んだ女性はしばらく隔離されるし生き物の死なんか見た日にはお休みもらえちゃう(物忌み)っていうあれです。あれ。

こういったケガレの思想の根幹は「欠損」というロジックで一本通ってんのかぁとか分かると楽しいよね。英文法もそうだけど、一本筋の通ったロジックを見つけると楽しくなるよね。この楽しさ分かってほしいなぁって思いながら塾講師バイトやってます。どうでも良いなこれ。

 

 

で、

ケガレ思想のロジックが分かったところで、それは昔から本当に差別される対象だったのかって話です。

結論から言うと、「最初から嫌悪の対象だったわけではない」です。

でもなぜケガレの多い人が差別されるようになったかという話の前に、まず理解しておくべき前提があります。

それはケガレは伝染すると考えられていたことです。

ケガレは伝染するので、ケガレに対する忌避感が強まることは、ケガレの多い人を隔離することに繋がっていきます。

①ケガレそのものに対する忌避感が強まる→②ケガレは伝染するので避けたい→③ケガレ多き人間を隔離、差別

といった流れになるわけです。

②があることは明白なわけですけど、問題なのは①なんですよ。

本当に昔から嫌悪の対象だったのか?

元々は違った感情を抱かれていたのに、何らかの変化が生じたのではないか?

 

 

これずっと気になってたんですけど、やっぱりすげぇ複雑なんですよねぇ

日本史の一番の時代の転換期である14,15世紀ごろなんかは特にそうだし、東と西じゃ元にある価値観がまるで違う。

 

 

 

なのでとにかく簡潔にまとめてしまうと

「昔は畏怖の対象だったのが、次第に嫌悪の対象になってしまった」

としか言えないんですね…悲しい。

そもそも穢多が扱っている牛や馬といった4本足の動物は聖なるものだったので、それを扱っている時点で神聖な人物であるはずなんですよ。

実際に畏怖の対象として見られている。

なのに段々とケガレそのものが嫌悪の対象になってしまった。

何でやねんってなりますよね。

それはみんな思うらしいんですし調べるんですけど、やっぱりまだまだ議論は終わっていないそうです。

ですから一般人としては、穢多が必ずしも差別対象であったかというとそうではないよねって部分だけでも理解できたらいいのではないかなと思います。

 

 

もやもやした感じで終わっちゃったな、、、